隠居生活

限界勤め人だった著者の隠居生活を綴ります

人のFIREを笑うな

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人それぞれFIREする・したい理由は様々だと思います。FIREの形も人それぞれだと思います。

 

親と暮らしながらのFIREだってあると思うし、超節倹による貧乏FIREだってあるでしょう。なかにはそれらを「みっともない」と感じる人もいることは承知です。

しかし、だからといって「間違っている」とか「やめた方がいい」とか「つまらない」と断定してしまうのは、まったくのお門違いではないでしょうか。

 

最近はテレビ等でFIRE特集が組まれるようになってきて、SNS上でも「私のFIRE観」みたいな発信が増えてきているように感じます。(この記事ももれなくその類です。)

 

FIRE観は人それぞれだと思いますが、自分自身を正当化するために、他人のFIRE観に難癖をつけるような言説が目に飛び込んでくることもあって、違和感を感じることが多くなってきました。

 

そうやって他人のFIREに難癖をつける一部の人たちには「自分がどれだけ恵まれているか」という視点が欠けているように思うのです。

 

「単身FIREは正直余裕だよね……」

→そりゃ非単身FIREに比べたら格段にイージーかもしれませんが、果たして本当に余裕なのでしょうか。きっと境遇によると思います。単身FIREは余裕と言い切ってしまえること自体が恵まれていることの証だと思うのですが、その自覚はありますかい?

 

「3000万でセミリタイア?そんな節約人生楽しいわけ(ない)www」

→人生の楽しさは金で決まってしまうのか?おいらはちょっと強引な気がするよ。

 

「5000万?子持ちの場合、子どもがかわいそう……。」

→(子どもいないけど)うっせぇわ!おいらは極貧で育ったけど、結構楽しかったですよ。

 

私自身、FIREを達成していない身で決して偉そうなことが言える立場ではありませんが、既にFIREした・FIREしたいと思っている人たちがどういう思いで「そこ」に向かってきた(いる)かを想像すると、「他人に難癖をつけられるなんてずいぶん恵まれた人たちなのだなぁ」と思わずにはいられません。

 

FIREというのは、漠然とした言い方かもしれませんが、もっと個別的で、かつ切実なものだと思うのです。のっぴきならない事情があったり、どうしても譲れない信条があったり……人それぞれだと思いますが、その部分は不可侵の領域であるように思います。それを表面だけ見てどうのこうのと断定的に言ってしまえることに、浅薄さを感じます。

 

様々な意見があるのは健全なことだと思いますし、それらを目にする機会が増えたということはそれだけFIREが浸透しつつあることの表れなのでしょう。私自身、少しナーバスになっている節があります。

 

ある程度のバランス感覚はあった方がいいのかもしれませんが、だからといって見知らぬ外野の声に真剣に耳を傾ける必要はないっすね。(個人的には、人生よよよ先輩のように、ヤジをダシにブログ更新していくスタイルを確立したい。)

 

自分が道を大きく踏み外してしまいそうなときに「大丈夫か?」と親身に声をかけてくれる、時に厳しくたしなめてくれる少数の人たちの声を大切にしていきたいものです。書いてて果たしてそんな人が自分にはいるのだろうか……と不安になってきましたが、まぁそういうことです。

 

結局は、自分自身で決めるしかありません。

 

FIREに関しては日々の自問自答のなかに答えがあるのではと思っております。そういう嫌でも目につく外野のコメントも総合して自問自答し、自分の答えを出していければ、きっとそんなに間違ったことにはならないのではないか……そんな気がしています。逆に、答えが出ないままFIREしてしまうと、「こんなんじゃなかった」みたいなことになってしまうのかもしれません。

 

はぁ、外野の声が気になってしまうなんて、修行不足だ……