DMMブックス70%オフセールで購入した幽遊白書を読了しました。
印象に残っているシーンがあるので、ご紹介したいと思います。
暗黒武術会編のボス・戸愚呂(弟)と戦う前に、幻海が幽助に霊光玉を授けるシーンです。
「一体なんのことやら」という方もしばしお付き合いください。
霊光玉
霊気を極限まで凝縮したエネルギー球
継承者は自らの心身で真の継承者になれるかを問われる。この小恒星のようなエネルギーを受け入れるだけの器がなければ、その継承者の肉体は空気を入れすぎた風船のようにこっぱみじんになる。
「継承の苦痛は想像を絶する。なん日続くかもわからん。ヘタをすれば肉体の再起不能、精神の崩壊。最悪の場合、死さえあり得る」
イチFIREの民、特に節倹系貧乏FIREの民として、この霊光玉エピソードには感じるところがあります。
私自身、FIREを目指した当初は、FIREが希望の光となって労働のつらさが軽減しました。しかし、「FIREまであと〇年×ヶ月」とカウントを始めてしばらく経つと、今度はFIREを知る以前にも増して労働がつらく感じられるではありませんか。
こんなことならFIREなんて知らなきゃ良かった……とまでは言いませんが、アーリーリタイアを目指すことの副作用みたいなものは、実際に感じています。
特別高収入でもなく、満足な副収入を構築できない、転職もうまくいかないとなると、身を削るような節約を以てしか入金を増やせませんでした。
あるレベルまでの節約はゲーム感覚で楽しめますが、長期にわたっての制約というのは、なかなかこたえると思います。(その点、至高の領域での節約をウン十年と続けている方々は本当にすごいです……)
それでもいっこうに増えていかない資産。
年に1~3百万程度しか追加入金できないもどかしさ。
果てしなく先にあるゴール。
感じることさえできず、思考のうちにだけ存在するゴール。
本当に自分のやっていることは正しいのか。
何かが間違っているのではないか。
追い打ちをかけるように、周りのFIREの民は順調に資産を増やし、どんどん先に行ってしまう。
自分だけ置いていかれるような焦りに近い感覚。
一方で、会社の同僚たちは家族をつくり、家を持ち、仕事に邁進し、人生の航路を着々と進んでいく。
人とは変わった道を進むことへの恐怖みたいなものは、正直に言ってまだあります。
負のサイクル
リタイアイメージばかりが先行するとどうなるか。
FIREすることしか考えられず目の前の労働が疎かになる→労働が立ち行かなくなる→労働嫌いが加速する→よりFIREのことしか考えられなくなる→目の前の労働が疎かに……という(見事なまでの)負のサイクルに陥ってしまう恐れがあります。
実際に経験している方も少なくないのではないでしょうか。当方は、絶賛そんな感じです。
この負のサイクルは、ジリ貧路線であり、心身をボロボロにしていく恐れがあるため、早く抜け出したいところです。
自信がつく&周りにどう思われるか気にならなくなる→結果、仕事が冴え始める→ますます自信がつく&やる気アップ→ますます仕事が冴える
そんな好循環にしていきたいものです。そこまでいけば、職業道楽化状態と言えるかもしれません。
毒に飲まれるか、毒を制するか
以上の例を見てもわかるように、FIREという思想は毒を含みます。
その毒に飲まれるか、毒を制して自分の力とできるかが、一部のFIREの民(志望者)には試されるのではないでしょうか。
FIREを目指す際に表れるかもしれない副作用は、霊光玉のようなものだと思います。
(霊光波動拳のみならず邪王炎殺拳にも通じます。体得するか、体得できずに自ら地獄の業火に焼かれるか。)
FIREに取り憑かれるあまり人生を台無しにするのか、FIREという思想を制して人生の活路とするのか。
今は株式市場が右肩上がりということもあり、資産が順調に伸びているかもしれませんが、長期低迷となれば景色は一変するでしょう。FIRE楽観論からFIRE悲観論へ。
私と同じ節倹系貧乏FIREの民の皆さんのなかで、このゲームを始めたばかりの人は、まだまだ引き返せると思います。
かく言う私自身も、ポイントオブノーリターンにはきっとまだ達していないと思っています。(時間の問題です。)
引き返すつもりはありませんがね……。
毒を制してFIREしていく。
(FIREまで残り4年8ヶ月)