隠居生活

限界勤め人だった著者の隠居生活を綴ります

「Through the Olive Trees」(邦題:オリーブの林をぬけて)

「Through the Olive Trees」(邦題:オリーブの林をぬけて)というイランの映画を観た。

 

文盲(読めない&書けない)かつ家を持たない「ホセイン」青年が、地震で両親を失いおばあさんとともに暮らす「タヘレ」という女性にモーレツに求婚し続ける様子が100分続く映画だった。

 

それだけならどこにでもありそうな話だが、この映画はそんじょそこらの恋愛映画とはひと味もふた味も違った。

 

何が違うって、主人公同士がまったく会話をしないまま映画が始まり、終わっていくところが違う。

 

正直に言って、かなりクレイジーだ。

 

本作は「映画のなかで映画を撮影する」という入れ子構造になっている。

 

ホセインとタヘレは「映画のなかの映画」の演者であり、二人の間に映画のセリフとしてのやりとりはあるものの、それ以外の会話というのは面白いくらい一切ない。

 

ホセインは、撮影の前中後で、あり得ないくらいモーレツにタヘレにアタックする。

 

しかし、タヘレは絶対にホセインと目を合わせないし、いくら話しかけられても完全無視。

 

(こんなにセリフの少ないヒロインというのも、なかなかいないかもしれない。)

 

思わずホセインも「君の心は氷か」と言ってしまうくらい、少なくとも表面上は冷たい。

 

所々、タヘレの心の動きを表すような描写はあるが、どちらともつかないので、映画の視聴者は想像力を揺さぶられることになるかもしれない。そんな繊細な心理描写が本作品を特徴づけているように思う。

 

なぜタヘレは、ホセインと「話さない」のか

 

あるいはタヘレは、ホセインと「話せない」のではないか

 

映画のなかに出てくる情報をつなぎ合わせて、視聴者である私はタヘレの気持ちを想像せざるを得なかった。

 

視聴者が想像し、勝手に補完しなければならないだけの絶妙な余地が残されている。

 

その余地こそが、本作品を名作たらしめる理由の一つになっているような気がした。

 

ラストシーンについても触れておかねばならない。

 

あのような映画のラストシーンを私はこれまで観たことがなかった。

 

なんと美しく、想像力が揺さぶられるシーンだろう。

 

オリーブの林をジグザグと歩く二人。

 

どんどん遠くなっていく二人。

 

やがて、画面上、二人は白い点になる。

 

ここから先は言えない。

 

どうしても言えない。

 

ラスト15秒の描写。

 

視聴後、なんとも言えない余韻、脱力感に包まれた。

 

ラブストーリーなのに1時間40分のなかで二人の間に双方向の会話がない、という一風変わった本作品だが、私のなかで間違いなく殿堂入りした。

 

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