隠居生活

限界勤め人だった著者の隠居生活を綴ります

雑感(セミリタイアまで830日)

転職してから、「飽きた」とか「嫌だ」とか思う暇もないくらい目まぐるしく日々が過ぎていく。

 

アサインされているプロジェクトが終了したらまた次のプロジェクト。新たな知識をインプット、そしてアウトプット。その繰り返しで1~2年はこのままあっという間に過ぎていきそうな気がする。

 

今の生き方が、自身にとって「ピンとくる」とか「こない」とか考えている暇もなく時間が過ぎていく。

 

それはそれで良くもあり悪くもある。

 

苦痛を感じる時間が短いのは良いことだけど、労働に没頭するあまり気づいたら未来にタイムスリップしていたみたいなことだとするとちょっとした悲劇だ。(自分でも何を言っているのかちょっとよくわからない。)

 

一つ言えることは、あと830日後には経済的な意味で勤め人卒業のメドが立っているということだ。よほど散財しない限り、という前提だけれど。

 

そのために2090日走り続けてきた。

 

雨の日も風の日も雪の日も夏の暑い日も節約を続け、株を買い続けてきた。

 

(転職してからは、少しというかだいぶ財布のヒモが緩んでしまっているけれど....)

 

よよよ先生ほど攻めた節約もできていなければ、副収入の構築もできておらず、足元にも及ばないけれど、自分なりに改善を繰り返しながら、奨学金を返済して親を扶養しながら、ここまでやってきた。

 

節倹投資を続けて築いた資産は、ちょっとした安寧を生んでいる。

 

仮に働き続ける場合は、もう追加入金しなくてもええんやでという安寧だ。

 

株式市場は今後も上がったり下がったりを繰り返していくだろうけれど、均して年間4~5%ずつ資産が膨張していくとすると、今後追加入金をせず働いた金を使い続けたとしても60歳になる頃には資産が約1億円になる。

 

その頃の物価がいかほどかはわからないけれど、1億円あればまぁどうにかなるのではないかと思う。

 

複利計算に従えば、勤め人を続ける前提では既に十分な資産を築いたといえるだろう。

 

放置プレイを続け、稼いだ金をすべて使い切る収支均衡生活をしても40代のうちには準富裕層だ。

 

もちろん60歳まで働き続け収支均衡生活を続ける気はないので、以上はあくまでも空想の話だ。(捕らぬ狸の皮算用

 

…と、自分で書いていて少し笑った。

 

セミリタイアが空想なのではなく、60歳まで働き続けることが空想になるくらいのところには立てているということか。(あるいは少し頭がイっちゃっているだけなのか。)

 

ちょっと前まではセミリタイアすることが空想に思えていたのですが、時の経過を感じずにはいられません。

 

そうそう、人生はいつ終了するかわからない。

 

平均年齢以上に生きる想定で準備はするけど、実際に生きられるかどうかは当然別の話で、明日死ぬかもしれない。

 

でも最近はそれも悪くないかなと思います。

 

やり残したことを思って死ぬ間際に後悔するかもしれないけれど、それでも「ここまでよくやってきたよな俺は」という思いも同時にきっと持てると思うのです。

 

縁あって関わってくれた/関われた人の人生に、少しは爪痕を残せたかなと。

良い影響を与えられたのではないかと。

 

自分自身は死んだとしても、他の人のDNAに何かしらを刻めたのではないか、心の中で生き続けられるのではないかな~、と。

 

だとしたら、子どもこそいないけど、世界にちっぽけではあるけれど爪痕を、何かを残せたんじゃないかと。

 

100年後に覚えていてくれる人はいないだろうけれど、数十年にわたり思い返してくれる人がいる。それだけで十分です。

 

ネット上で隠居芸人という名前でいろんなことをしてきましたが、それもまぁ楽しかったですね。

 

まぁまだまだ人生エンジョイしていこうと思いますよ。

 

自分に与えられた初期パラメータを受けいれて、もう少しもがいてみたい気がするんです。

 

メメントモリしながら、生ある限りは生に執着して生きていきたいと思います。

 

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