隠居生活

限界勤め人だった著者の隠居生活を綴ります

セミリタイアもいいけどノマドワーカーもいい

2018/11/28(水) 4:59起床

おはようございます。2028年3月末までにセミリタイアチケットを取得したい隠居芸人です。

当ブログで先日ご紹介した『ノマドワーカーという生き方』に影響され、

セミリタイアや楽隠居というよりは、ノマドワーカー志向なのでは・・・」

と思い始めているので、今日は1本したためます。

 

なぜセミリタイアしたいと思ったか

今でこそあまり感じなくなりましたが、つい最近までは毎朝出社する度に人生に疑問を感じていました。

1年目の初めの頃は早朝の誰もいない職場で絶望しながら一人黙々と掃除をしたり、コーヒーを作ったりしたものです。(中途入社の同期に「そういう『新人の仕事』は見てくれる人がいる前でやらないと意味がない」と教わったのが懐かしい)

外回りの車の中で「なんのために働くのか」と先輩方に問われたことがありました。

「この仕事を通じて○○な人たちの役にたちたい、○○な世の中にしたい」 というようなことを一年目のピチピチだった自分は言いました。

案の定先輩方は大笑い。

車内でいちばん年長かつ職場でパワーを持っていたある先輩はこう言いました。 「隠居くん、それは違うよ。俺たちは食っていくために、生活していくために働いているんだよ。いかにつぶしのきく人間になれるかだよ」

そういうものか、と流して考えることが当時の自分にはできませんでした。

夢や大きな志をもって働いている大人はおらず、皆自分のことで手一杯、利己的な人間ばかりのように自分の目には映りました。

また学生時代の頃とは異なり、正しいプロセス・正しい結果よりも、前例踏襲しつついかに要領よくやるか(正しそうに見せるか)ということばかりが重要視されているように感じられ、そのギャップに違和感を覚えました。

なぜ自分はこの会社にいるんだろう・・・

自分の居場所はきっとここではない。

この人たちから影響を受けたくない・・・

たぶん、もっと夢とかやりがいとか志をもって楽しく生き生きと働いている人たちと仕事がしたかったんだと思います。今思えば、何者でもない自分が何甘えたこと言ってんだって感じですけどね。

当時の自分は、現状に対する違和感、自分への憤りに襲われていました。

何も考えずに就職先を決め、プラチナチケットを無駄にしてしまった事に気づき、強い後悔にさいなまれる日々でした。

「絶対に辞める(転職する・セミリタイアする)」という気持ちで今日までなんとか走り続けてこれたように思います。

それで、入社1年目と入社4年目には現役時代に受けた講談社の入社試験を再度受けるなどしました。

現役時代は3次面接で、入社1年目は筆記試験で、入社4年目は2次面接で落ちて、結果こうして今の仕事を続けています。

セミリタイア志向をいっそう強めるようになったのは、入社4年目にすべてを賭ける気持ちで臨んだ講談社に落ちてからだと思います。

以来、Twitterやブログでも勤倹貯蓄芸人としての性格を強めてきました。

昨日のお昼は持参したおにぎり1個とカロリーメイト2本です。

 

 変化

5年間、同じ部署に居続けるうちに段々と人権が獲得されてきました。

現在では多少なり、社会人として、「会社人」としての振る舞いにも慣れ、年次が上がり相応の仕事を与えられています。

今年に入ってからは、承認欲求を満たされるようなシーンも出てくるようになりました。

相変わらずの「絶望」も年に数回ありますが、それと同じくらいには達成感を覚える瞬間なども出てきました。

これは良い変化と言っていいと思います。

当時は先輩や職場の人たちの言動・振る舞いと自分個人の考えなどを切り離して考えることができず、なじめませんでした。

今では「そう考える人もいるよね」くらいには、独立して考えることができるようになりました。

 

働きたい?働きたくない?

「働きたいか、働きたくないか」

というまた極端な問いを持ち出してみます。

最近では少しずつですが、働くことが好きになれそうな気がしています。

短期的には、考えたりスキルの習得に充てる十分な時間が欲しく、1~2年は集中的に学びたいので働きたくないかもしれません。

けれど中長期的には何かしら働いて、人とある程度の距離を保ちながらリレーションシップを築き、世のため人のため自分のために働きたいような気がします。

少しずつ今の職場での人間関係に慣れてきたわけですが、異動で職場が変わればまたイチから同じことの繰り返しになるのではないかという恐怖に、今は怯えています。

このようなことから、裁量労働の極みといっていいノマドワーカーに憧れはじめている現状になります。