隠居生活

限界勤め人だった著者の隠居生活を綴ります

仕事に個性は必要か

お疲れ様です。隠居芸人です。

表題の件について思う所をつらつらと。

つい最近まで、会社員として自分の考えや意見なんてものは押し殺して組織の歯車にならなければいけない、と思いながら働いてきました。

そう思って、自分を押し殺して押し殺して、型にハメてきました。

変に目立ったりしないように、自分の色を出さないようにと。

しかしながら最近は少し考え方が変わりました。

ベースは変わりませんが、行う仕事の種類によってもその程度はいくぶんの変更を受けると。

型にハマることには、それによって余計な抵抗を受けずにスムーズに仕事を進められるという側面があります。

一方で、型にハマろうとしても、そこから零れ落ちてしまう部分が少しは出てきます。

その部分が個性に他なりません。

言い方をかえれば、その人のflavor(テイスト)です。

(「カラー」と言ってもいいかもしれません。同じことです。)

そしてその個性こそが、良い仕事をするうえで必要不可欠に感じられるのです。

(良い仕事とはなんだろう、というのはまた別の記事に譲りたいと思います。)

なんでも奇抜なことをしよう、他の人と違うことをしよう、というものではありません。

他の人と違うことをする⇒個性がある、ではありません。

個性は誰にでもあるのです。

リンダ・グラットン著『WORK SHIFT』に次のように書かれていました。

「仕事が遊びになるのは、普通はやらないことをする場合(逸脱)、普通やっていることをやらない場合(回避)、ものごとを普通より極端にやる場合(強化)、社会生活の普通のパターンをひっくり返す場合(逆転)である。」

今の自分の考えはこれに近いです。

型にハマることで無駄をなくしつつ、型にハマらずに遊ぶ(逸脱・回避・強化・逆転)こと。

そのバランスのなかで、仕事を楽しんでいくことがひょっとして可能なのではないか……

と思うのです。

「やり方さえ間違えなければ、社内で上に意見を通すことはできるし、変えていける。それも遊びながら。」

そんなことを思うのです。

ある程度の幅のなかでいかようにも変えていけるとすると、そのなかでどのレベルを目指すかということになります。

何をどう(どのレベルまで)変えていくか(いきたいか)。

そこには必ず個性が表れてくると思います。

皆が一斉に同じ考えで同じ方向を目指す組織というのは、トップダウンで進行速度が速い一方で、脆(もろ)さを抱えています。

その意味では、型を共有しつつ、多様な個性・価値観が競い合う?ような組織が理想ですかね……。

はい、理想論。

言われたことをただやるだけなら確かに個性は不要。

また、個性を出さずに仕事を進めることもある程度は可能。

自分が仕事を楽しむために個性をうまく使う。

そんなところでしょうか。

……あれこれ書いてみたものの、時間をおいて冷静に考え直してみると、やはり「個性は殺して働く」くらいがちょうどいい気がします。

どうでしょう。         (ブログ村に参加しています。よろしければ応援クリックをお願い致します。) にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ