隠居生活

限界勤め人だった著者の隠居生活を綴ります

宇宙の塵芥

さて、本日からまた長い?1週間が始まります。(今日は月曜日)

そして、再び弁当・水筒生活へ。

言い訳ですが、先週までは本当に激務モードで、水筒を準備する気力すら出ませんでした。

おかげで、目指すべき隠居生活からは程遠い、消費と浪費の日々でした。10月は残業代の分の手取りが増えるものの、9月の消費と浪費により相殺…。これじゃ本末転倒ですよね。働くために浪費して、その浪費を補うべくまた働く。なんという悪循環でしょう。私たちはいつまでこんな働き方を続けるのか。

[2018年の自分へのメッセージ] よう、来年の自分。まだブログ続けているかな? 来年の俺、9月はやっぱり忙しい。 自分をコントロールして、仕事をコントロールしていかないとまじで死ぬからな。 計画的に仕事をこなして、詰まないようにしような。 朝の5時とか6時に出社とか、もういやでしょ? 他に出勤している人もいないから残業もつけにくいしね。 タダ働きは嫌だよな、うん。 だから計画的に仕事をして必要に応じてちゃんと残業するなりして、終わらせていこう。

[2017年10月(来月)の自分へのメッセージ] そして急ぎの仕事がなくなった今こそ、仕事を先取りして、どんどん進もうね。 定時あがりもいいけど、やるべきことがあるなら、残業してでもやっぱりやるべきなんだな。 でないと溜まってしまって仕事が面白くなくなる。

仕事をコントロールできるようになれば絶対今より人生楽しくなるからな。 それに(これはおまけみたいなもんだけど)わずかながら残業代も出るしな。

がんばろうぜ。

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やっぱり思うんですよ。 夢とか目標とか持って、それに向かって努力して、何かしらの達成をすることが人生を面白くするのだと。

大人になるとみんな勉強量が減る それはある意味ではしょうがないことなのかもしれない 仕事で関係する人にはいろーんな種類の人がいて、やはり気を使うし、消耗する

コミュニケーションに限らないけど、仕事は大変だ 加えて、家族と過ごす時間だってある

日々の仕事で消耗し続け、休日は充電することにしかエネルギーをつかえてない…みたいな状態の人がたくさんいるわけだ

だからこそ習慣みたいなものが効いてくるのだと思う

つまり歯を磨くように勉強する、負荷を与え続ける

もちろん気を抜くところでは気を抜く(羽を伸ばす) 何もしないときは何もしない

厳しい習慣やら戒律のなかに身を置く人がとる束の間の休息とは、そうでない人がとる休息とは格段に違う味わいになるのではないかと思う

最近Youtubeで宇宙の大きさが体感できる動画、みたいなやつを見た おもしろかった 地球があって、惑星が集まった太陽系があって、 太陽系みたいなのが集まった銀河系があって、 今度はまたその銀河系みたいなのがあつまった集団があって…

なんかもう、壮大だったね

それに比べたら、人間ひとりの一生というのはなんてちっぽけなスケールなんだと思ったりもする

たとえ地球でノーベル賞とったって、しょせん地球スケールじゃん、みたいな

自分の悩みとかなんだろう

自分って宇宙のごみみたいなもんじゃん

なんなら皆、ごみみたいなもんじゃん

塵芥じゃん、って思えてくる

それはそれとして、塵芥だからといって一生をむだにするのではなく、 高揚感をもって、楽しい人生にするためには、ある程度自分を縛り、自分に負荷を与え続けることが大事なのではないかと思う今日この頃

日常に流されていると、なかなかそういうの見えなくなってくる気がする

学生の頃はある意味偏差値とか順位みたいなのが鮮明で、自分の立ち位置みたいなものもわかりやすかったし、目指すべきところがある程度はっきりしていて、シンプルだった。何も考えずにそれだけがんばってればいい、みたいなところも、まぁあった。

大人になって、というか大学院を卒業してフルタイムで働くようになってから、何をがんばったらいいかわからなくて、つらくて、消耗して、いろいろ考えるようになった。

それは学生時代、何も考えず思考停止のなかでラクをしていた自分に対する罰なのかもしれない

だからリセットしようと思う

いろんなしがらみに縛られながらも、自分の決めたルール・戒律みたいなものに従って、自分に負荷をかけてやりぬきたい

ありていに言えば成功したい、ってことなのかもしれない でも成功ってなんだ?

人から見て成功でも自分が納得・満足してなければそれは成功と言えないのではないか?

成功という軸ではなくて、 出し切った感とかやりきった感、達成感みたいなものを求めて生きていきたい たとえそれが自己満足であったっていいじゃないか

自分が自分自身に納得・満足できるような人生にしたい