隠居生活

限界勤め人だった著者の隠居生活を綴ります

自由とは、イヤなことをイヤだと言えること

隠居芸人です。

相変わらず労働がしんどいです。

重要な案件の締切が重なると、生きた心地がしません。

先週は、終電帰りが続きました。

ただでさえ忙しいのに、欠席できない職場の飲み会もあり、「ほんまに……ほんまに、もう無理……」という感じでした。

残業代は、すべて投資に回します。

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さて、5月も3分の2が終わりましたが、支出状況はどうなっているか。

5/20(月)時点の支出:67,384円

目標が70,000円/月未満なので、残り2,616円です。

残り11日間で、残り2,616円ということは、1日あたり237円……。

ここから月末まで大きな贅沢をせずに暮らしていけばギリギリ達成できるラインです。

もっと無理なく節約できればいいんですけどね。

たとえば条件を緩くして「副収入分を支出と相殺して良い」というルールで計上を行えば、月70,000円未満という目標はクリアできてしまいます。

しかし、やはり副収入はあくまで収入の一部。支出とは切り離して考えるという立場で支出記録を行っていきたいと考えます。

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最近は心が死んでいます。

もしも裕福な家庭に生まれていたら、こんな風に「セミリタイアしたい」と思うことはなかったかもしれません。現在のように、一般的とは言い難い程度に切り詰めて暮らすようなことは、あるいはなかったかもしれません。

自分はいったい何がしたいのか。

何がしたいのかは正直わからなくなってきています。

避けたいことならすぐにいくつか思い浮かびます。

有無を言わさぬ上下関係、行きたくない飲み会、笑いたくないのに笑うことetc.

橘玲(たちばな・あきら)さんが著書のなかでこう言っていました。

「自由とは、イヤなことをイヤだと言えること」だと。

そういう意味で、今の自分には自由はありません。

上司の命令は絶対です。

イヤなことでもなんでも「ハイ」と言ってやらねばなりません。

生殺与奪の権利を掌握されているのです。

そんな風に、イヤなことをイヤだと言うことができない苦しみに耐えてこれから数十年働き続けるのは、きっとしんどいことだと思います。

裕福な生まれだったらセミリタイアを目指していなかったかも……と書きましたが、裕福な生まれだったとしても私はこの理不尽さに耐えられないがためにセミリタイアを目指していたような気がします。

セミリタイアを達成したい一番の理由は差し詰め「理不尽からの脱出」といったところでしょうか。

あと15年。45歳で、セミリタイアできるように、1日1日を積み上げていきたいと思います。