隠居生活

限界勤め人だった著者の隠居生活を綴ります

FIREよりも大切かもしれないこと

音楽の魔法だ。平凡な風景が意味のあるものに変わる。陳腐でつまらない景色が美しく光り輝く真珠になる。音楽でね。年を取るほどこの真珠が見られなくなる。今、この瞬間は、真珠だ。 輝いている。 すべてがね。 映画「はじまりのうた」より

人間の心に火がつく瞬間。 創造性が生まれる瞬間。 人の心が動く瞬間。

それってどんなときですか?

自分の場合は、次のようなときにそういう感覚を得られることが多いです。

・本を読む ・音楽を聴く ・映画を観る ・YouTubeのコンテンツを視聴する ・美しい景色に直に触れる

充足感というか、時間が止まっているかのような、まるで時の流れに逆行するような無限の感覚に支配されて、イっちゃう感じですね。

その状態がただ幸せな感じ。

熱中・没頭の幸福、忘我の幸福、そういうのにアクセスする瞬間です。

宗教的な要素もあるかもしれません。

自分を超えた大きな何かに通じる瞬間。(いよいよ怪しくなってきたぞ。)

脳内物質ドバァの瞬間です。

有限な人間の一生ではありますが、あるいはその瞬間だけは、無限を生きられるのかもしれません。

この「脳内物質ドバァ!」って、実はある程度の幅のなかでコントロール可能なものなのではないかと、最近思うのです。

たとえばルーティンみたいなもので。

もちろん、突き抜けるような快感は別ですよ。 それは予測のなかには生じない気がします。

そうではなく、じわじわと上がっていくような、もっと静かで熱い感じのやつです。(えっ?伝わらない?)

ルーティン(静)と変化(動)のコンビネーション(選択)が固有の人間の一生を決定づけるとして、いかにそれ(割合とか内容)をチューニングしていくか。

人間は平等に死ぬわけで、死を克服した人というのはこれまで一人もいないわけですが、その体感的な密度は人によって大きな差があると思っています。

いちばん何をしているときに充実感を覚えるか。

忘我の瞬間を求めていきたいものです。

「人生、そんな瞬間ばかりではない、甘えるな」 そんな声がどこからか飛んできそうですが、ピーターパン・シンドロームと言われようが、私はそういう瞬間を求めることを決してやめませんよ。

刹那主義ではありません。そういう瞬間で人生を満たしていくことについて割と本気で考えているのです。それは自分にとってFIREよりも本質的に重要なことと言えるかもしれません。