隠居生活

限界勤め人だった著者の隠居生活を綴ります

隠居芸人という名前について

「なんで『隠居芸人』なのか」と聞かれることが増えてきた。 お気づきの方もおられるかもしれないが、隠居芸人という名前はフランツ・カフカ『断食芸人』という短編小説からきている。小説では「断食」を見世物とする芸人の凋落(ちょうらく)が書かれている。下記リンクから読むことができる。

(青空文庫)フランツ・カフカ 『断食芸人』

「なんで断食以外のことができないの?」と聞かれた断食芸人が「うまいと思う食べ物がないからだよ」と答えるシーンには感慨深いものがある。

「それじゃあ君は隠居せずにはいられないから隠居芸人なのか」と訊ねられると言葉に詰まる。

隠居とは、

「煩雑な社会を逃れて山野に隠棲すること,官位を捨て家督を次代に譲って社会生活から遠ざかること」(世界大百科事典第2版)

を意味するらしい。私は煩雑な社会を逃れて山野に隠棲しているわけでもなければ、職を捨て家督を次代に譲って社会生活から遠ざかってもいない。ごく普通のそこらにいるサラリーマンである。

ただ、「リアルな俗世」から距離を置きたいという気持ちは人より少し強いかもしれない。俗世から距離を置き、毎日小説を読んでは書き、書いては読んで……というような生活が人生のある時点からぼんやりとした目標になった。一つでも書ききった小説があるかというと、まだない。

なぜ小説なのか。小説は自分にとって最大の娯楽であるからだ。小説を読んで泣いたり笑ったり怒ったり、時にはやる気を得たりしてきた。人間の思考が "稠密(ちゅうみつ)に" 凝縮された成果物の一つが小説であり、小説を通して様々な人生を経験できる。文字を追っているだけなのに、小説の世界がありありと眼前に浮かび、登場人物たちの感情をトレースできる。それは本当に素敵な体験だ。

何より、

小説を読んでいるときだけは現実から目を背けることができた。

小説は自分の現実逃避先だったらしい。つらい時も悲しい時も寂しい時も小説があって、小説を読んでいる限りは見たくない現実から目を背けていられた。小説を読み終える頃には、その見たくない現実とやらも「まぁそういうものだろう」と受け容れて、流すことができた。とりわけまだ年若く心に傷を負いやすかった頃、そのようにして小説に幾度となく心を救われてきた。いつからか(たとえ一時的な現実逃避であったとしても)、人の心を救うような物語を自分も書きたいと思うようになった。

さて、なぜ隠居芸人なのか。自分でもなぜそんな名前をつけようと思ったのか正直を言えば忘れてしまった。実際に隠居できないまでも精神的には俗世と距離を置き、断食芸人のような崇高な意志をもって生きたいという思いがあったのかもしれない。

***

Twitterについて。日常ではなかなか他人の内面まで深く知る機会がないし、またその必要もない。一方でTwitterには他人の内面しか書かれていない、と言っても過言ではないと思う。 Twitterでは空間を越えて、日常生活では知り得ない、出会い得ない多くの人々の言説・知見に触れることができる。うまくいけば相互交流することだってできる。 「すごい人」がたくさんいて、刺激を受ける。そうしたすごい人たちの言説と自分のそれとを比べれば、自分の言説のしょぼさに否応なしに気づかされる。

志のないブロガーの安直な意見がネット上の言論のレベルを低下させる。まさに悪貨は良貨を駆逐する。

という言葉がTLにあった。胸をナイフで貫かれるような思いがした。 弊ブログは筆者の思考をダラダラと垂れ流すだけのもので、言論と呼べるレベルでもないので、これに当てはまるかどうかは甚だ疑問である。しかし、ネット上にごみをばらまいているという点では同じだ。このつぶやきを見て、ブログを閉鎖すべきか考えさせられた。(既に支払われたレンタルサーバー代を思い出し、その考えはすぐに棄却された)

つまらなくて中身がないブログだが、書き続けるうちにおもしろく中身のあることを書けるようになれればと思う。

隠居芸人のプロフィール

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