隠居生活

限界勤め人だった著者の隠居生活を綴ります

身体面の変化・浪費の極小化・縮小均衡の不安について

隠居芸人です。

先日、就寝直前に「死の恐怖」に突如として襲われました。

死に向かっていること(遅かれ早かれ死ぬということ)について漠然とした恐怖がわいてきて、居ても立っても居られなくなってしまいました。

20代の頃は「人生まだまだこれからァ⤴⤴!」というメンタリティで、死の恐怖なんてちっとも感じなかった(あるいは感じる暇がなかった)のですが、30代に突入してからというもの、少しそのあたりの事情が変わってきました。

今回の記事では、備忘録を兼ねて死の恐怖に関して思うところを書いてみたいと思います。

 

身体面の変化

どこにも不調がなく体が軽かった20代でしたが、30代に突入してからは「ゆるい体調不良」みたいなのが延々と続いています。

腰は痛くなるし、目もしょぼしょぼになるし(スマホやPCの使い過ぎですね)、歯も少しずつ(しかし確実に)病んでいるし、肩こりや頭痛も最近ではしょっちゅう起こります。また、以前と比べて疲れがとれにくくなりました。寝たら全回復していた体は何処へ……

(ちなみに、20代の頃は「肩こりは自分の人生とは一生無縁!と本気で思っていました。愚かですねぇ……。)

運動不足の影響も大いにありそうですが、そういうちょっとした不調が積み重なって、20代の頃と比べて確実に身体の老いを感じています。

そんなことから、死を意識する機会が増えました。

 

浪費の極小化

このブログをご覧になっている方はご存じのように、わたくし隠居芸人は「FIRE(Financial Independence, Retire Early)」に向けて、節倹の日々を送っています。家計に占める浪費の割合は(月によって多少バラツキはあるものの)概ね0に近い状態を維持しています。

これは冒頭の「死の恐怖」を覚えてから改めて考えたことなのですが、思い返すと節約生活を始める前までは「不都合な真実」だとか「不吉な将来」のことを浪費や消費によって忘れていた側面があったように思います。

言い方を変えると重心が「現在」にあったわけです。

ところが、節約・貯蓄(投資)の日々を送るようになって以来、重心は明らかに大きく「未来」寄りに移動しました。 (現在は、FIRE以後の生活をベースに行動の大部分を決定しているといってよく、多かれ少なかれ今の生活を犠牲にしていることは否めません。)

このような浪費の極小化だけで「死の恐怖」を説明できるものではありませんが、決して無関係ではないような気がしています。 (節倹生活をやめたいという話ではありません。)

 

ダウンサイジングの不安

周囲を見渡すと「結婚して、戸建てかマンション(持ち家)を買って、子どもがいる」人が多いです。

一方の私は、独身・賃貸・子なしです。

子どもがいたら、あるいは30代前半で死の恐怖など感じている暇はなかったのではないか……ふとそんな風に思うことがあるのも事実です。

周りの多くの人が、ある意味で人生を「拡張」していくなかで、自分はというとそれに逆行するようにセコセコ節約しながら縮小させているわけです。

30代になってからというもの、そうした周りとの違いについて以前より敏感になったような気がします。

20代の頃は、やり直そうと思えばいくらでもやり直しがきく「余裕」みたいなものがどこかにあったのかもしれません。30代になってからは、ポイントオブノーリターンの恐怖をひしひしと感じています。

 

***

今後も様々な種類の恐怖に何度も襲われるのでしょう。(深いため息)

それは避けられないことのように思います。

ただ、恐怖にやられっぱなしではなく少しはやり返したい、現状を書き記すことによって恐怖の理由や意味を少しでも理解できればと思い、筆(指)の進むままに今日時点での考えを文章化してみました。

特に深い意味はなく、例によって無のブログです。

(ところで、皆さんもやはり寝る前に何かしらの恐怖に襲われることがあったりしますか? それはどんな恐怖でしょうか。よければコメント欄で教えてください。)


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