数年前、早起き全盛期に「4:30から見える風景」というブログをやっていた。振り返ると、あの頃は毎日が希望に満ちていた。
今は?絶望の日々だ。
なぜ絶望の日々が続いているのだろうか。
コロナ禍でスタートした時差出勤
通勤とオフィスでの密を避けるため、弊社でも時差出勤が導入された。早い方が早く帰れるし、残業代が体感的に増えるという邪(よこしま)な発想から、私は始業時間を早めることにした。
思えばその選択が良くなかったのかもしれない。時差出勤が始まって1年半くらい経つが、いまだに生活リズムに慣れないというか、うまく乗り切れていない。ギリギリまで寝ていて、慌てて家を出て、始業ギリギリにタイムカードを切る毎日。朝食を満足に食べる時間もなく、起床即仕事モード。以前からギリギリ気味に出勤していたが、時差出勤が始まってからはそれがより顕著になった。
自分の人生を生きている実感を持てない
起床してすぐに会社に行くための身支度に追われ、会社ではひたすらイエスマン(年功序列)、帰宅後は疲労困憊で床と一体化することしかできず寝るだけ。
考えてみれば、そんな生活で心に余裕を持てるはずがない。なんだかまるで他人の人生を生きているような感覚に陥ってしまう。私の勤め人生活というのは、監獄の囚人のそれと大きくは変わらないんじゃないかと思う。
このように「自分の人生を生きている実感を持てないこと」が、幸福感を著しく低減し、絶望感を生み出す原因になっていると思い至った。
早起きはソリューションの一つ
そこで、「自分の人生を生きている」と感じられる時間を増やすために、手つかずのまま残されていた早朝の時間に目をつけ、早起きすることにした。
朝の頭が冴えた状態だと、疲労困憊の夜よりもなんだかフラットに世界を眺められる気がする。
そんな状態で、興味のある事柄をインターネットで調べたり、読書したり、こうしてブログを書いたり、Twitterの海辺を徘徊しながら次なるFIRE戦略の一手を考えたりする時間は、なんだかとても「自分の人生を生きている感じ」がする。人生における舵取りを自ら行う手応えみたいなものを感じることができる。
終わりに 自分の機嫌をとっていこう
本日は4:45に起床したが、さっそく調子が良い。気分が良い。朝食をしっかり食べて、食後のコーヒーを飲みながら、あまりに気分が良いものだからこのブログを書くことにした。ブログを書きながら「毎日ギリギリに起きる生活」を続けていたことで、多くのチャンスを失っていたことに気づく。
早起きに限らず、生活のなかに「自分の人生を生きている」と感じられる時間を増やしていければ、勤め人生活に伴う日々の絶望感を軽減していけるかもしれない。
自分で自分の機嫌をとっていく
そのために「会社のための時間」ではなく「自分のための時間」から一日をスタートさせよう。
(FIREまであと1231日)