隠居生活

限界勤め人だった著者の隠居生活を綴ります

一時代が終わった感2023.10.10

セミリタイア、FIREがバズワードと化したのは2,3年前でしょうか

 

近頃はFIRE済みを冠するSNSアカウントもほんっとーに多くなりました

 

真なるアカウントもあれば、偽のアカウントもあるでしょう

 

一つ言えるのは、私はそうしたFIRE済みを冠するアカウントの多くにこれっぽっちも共感できないということです(アカウント主も共感など求めてやっていないと思いますが。。)

 

私自身がFIREしていないというのもありますが、そのアカウントのFIREまでの紆余曲折した道程を追えていないからだと思います

(人生よよよさんに憧れていた頃のように、「誰かのファンになる」ということがめっきりなくなりました)

 

「気づいたらFIREできるくらいお金が貯まっていたのでFIREした」というハッピーな層には生暖かい視線を送ることしかできないし、「1000万円でFIREしました!」という層も(ミクさんのような特例を除いては)ちょっと違うんじゃないかなと思います

 

FIREと称して小銭稼ぎをしたいことが透けて見えるようで嫌になってしまいます

 

もっとこう、界隈のアウトローな感じっていうんですかね

 

とにかく早期リタイアするために死に物狂いで、みたいな感じだとか

 

節約や投資に対するストイックな姿勢

 

そういうものが失われてしまったような気がします

 

自分自身のフェーズも変わりました

 

いまは1円を追い求めるような節約は行っていません

 

納豆も牛乳もくるみパンも、気づくとスーパーに置いてあるなかでいちばんお値段が張るものを平然と買っていたりすることもありますが、そのことに罪悪感を覚えることがなくなりました

 

単にライフスタイルインフレの罠にはまっているだけといえばそんな気もしてきますが。。

 

FIREを目指している若い世代のアカウントをみても以前のように心が熱くなることはなくなりました

 

心を動かされることがなくなりました

 

そして、一時代の終わりを改めて実感しました

 

「時代が変わった」というより、

自分のなかで、尋常ではない熱気を帯びた一時代(執念の一時代とでも呼べそうな)がひっそり幕を閉じた……

という感じです。

 

俯瞰してFIRE論をああだこうだと語りたいわけではありません。もっと個人的なものです

 

"自分のなかでの" 一時代が確かに終わったのだと

 

それは単に「疲れ果てた」ということなのかもしれません(苦笑)

 

三連休後の週の始まりですが、急に寒くなったせいか、からだの調子が万全ではありません

 

気の落ち込み方からもどうやらすこし疲れているようです

 

もう少しです

 

あと一年と少し

 

お気楽な隠遁生活まであと一年と少し

 

雪だるまの芯がようやく完成します