隠居生活

限界勤め人だった著者の隠居生活を綴ります

FIRE戦略再考

どうも隠居芸人です。

 

ずいぶん昔に読んだ『戦略がすべて』(瀧本哲史、新潮新書、2015年初版)という本にこんなことが書いてありました。長いですが、興味深い内容なのでまるっと載せます。

 

「戦略的思考」とは何か。これを考えるためには、「戦略的ではない」とはどういうことかを考えれば良いだろう。

「戦略」という語は、英語で言えば「ストラテジー」であり、軍事用語から来ている。古典的な分類によれば、意思決定はそのレベルに応じて、上から「戦略」「作戦(オペレーション)」「戦術(タクティクス)」の三段階に分かれている。

作戦はイメージしやすいだろう。これは目標が設定されたときに、そのためにするべきことをより効率よく行うための仕組みづくりである。これは会社で言えば、基本的な業務プロセスの作り込みやその改善ということになる。戦術は、さらに抽象度が落ちて具体性が増し、現場レベルでの細かな動きややり方の調整というものだ。

平均的な日本人が注力しているのは、戦術レベル、せいぜい作戦レベルになりがちだ。日々の業務を頑張ろう、目の前の仕事に打ち込むべしといった、よく強調される美徳は、典型的に戦術レベルの話である。

もし、勤勉に頑張って品質を高めた商品が勝つとしたら、二十世紀から二十一世紀への転換期に起きた日本の没落はきっと起こらなかっただろうし、さらに言えば、第二次世界大戦において日本が惨敗することもなかっただろう。

また、日本人は「競争」というと、同じ方向に同じように走って、頑張った人が勝つようなイメージを持つかもしれない。いわばマラソンのイメージだ。あるいは、ルートが決まっているコースをチームで繋ぎ合う駅伝のイメージかもしれない。いずれも、日本人に人気があるスポーツだ。

しかし、実際の競争はそれほど単純ではない。実際の競争は、全く違うルートを開発したり、今まで存在していたルールを変えてしまったりした者が勝利する。あるいは、自動車を発明して、その新しい技術を使って、桁違いのスピードで人を追い抜いていくのもありである。

つまり、戦略を考えるというのは、今までの競争を全く違う視点で評価し、各人の強み・弱みを分析して、他の人とは全く違う努力の仕方やチップの張り方をすることなのだ。

そういう意味で言うと、「戦略」は弱者のためのツールでもある。同じ戦い方で正面衝突すれば、もともと強い者が勝つだろう。だから弱者が勝つためには、戦いのルール自体を変えたり、攻守を逆転したりして、大胆な転換を模索するしかない。

今でこそ再び世界の超大国となったアメリカも、一九九〇年前後には日本というチャレンジャーに追い詰められていた。歴史家ポール・ケネディの書いた『大国の興亡』という本がベストセラーになり、アメリカの時代の終わりが予感された。弱者となったアメリカは、自分たちの強み・弱みを研究し、逆転の方策を練った。彼らは競争のルールや戦いの土俵を変えてしまうという方法をとったのだ。その後の日米再逆転は、「ジャパンアズナンバーワン」に酔いしれた日本人には予想外のものだった。

モリー半導体の品質価格競争に敗れたインテルは、メモリーから撤退し、CPUに特化して再び世界を制覇した。一方、日本メーカーは後発の台湾や韓国メーカーとの血みどろの戦いに巻き込まれ、公金をつぎ込んだあげく、敗北した。

当時は世界が憧れる家電メーカーとされ、アメリカの象徴ともいえる映画会社を買収したソニーもその典型だ。かつてスティーブ・ジョブズソニーを尊敬する企業としてベンチマークしていた。にもかかわらず、今ではアップルと比べると「周回遅れ」の製品ばかりである。一方でiPhoneを構成する部品の大半は日本メーカーが作っているが、ある種の「下請け」であり、その主導権を握っているのはアップルだ。液晶パネルを提供しているシャープがその最たるもので、アップルの采配に左右されるために経営は安定的な状況とはいえない。

低迷の時代にアメリカが発見した事実、それは「日本には戦略がない」ということだった。事実、日本という国は、初期に成功を収めても、戦略がないため最終的には失敗してしまう。

このようなことは歴史上何度も起きていて、第二次世界大戦前後の日本軍を研究した『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』でも、日本軍が初期の成功によってその状況に過度に適応してしまい、その後戦況が変化しても自己革新と合理性の追求が出来なかったことが敗因の一因として挙げられている。緒戦に手痛い敗北を喫したアメリカが、その失敗から学んで、航空戦力を重視し(日本の成功にならった)、兵站を重視した物量作戦に重点を置いた(日本の弱みを突き、その高い戦闘能力を無効化させた)のと対照的である。

「最強の軍隊アはアメリカの将軍、ドイツ人の将校、日本人の下士官と兵だ。最弱の軍隊は中国人の将軍、日本人の参謀、ロシア人の将校、イタリア人の兵だ」というジョークがある。これが揶揄するのは、日本の組織における現場力の強さと意思決定能力の弱さである。

だからこそ、日本人の組織は、意思決定のまずさを現場の頑張りで何とか解決しようとする。ところが、残念なことに、「戦術の失敗は戦略で補うことが可能だが、戦略の失敗は戦術で補うことはできない」というのが戦略論の定石だ。だから優秀な現場が無能な経営陣のカバーをしようとしても、単に現場が疲弊するだけなのである。

社会的に問題になっている「ブラック企業」も、戦略レベルでビジネスモデルが破綻している企業が、現場の負担で何とか生き残っているが、結局破綻するという顛末を迎えることになる。牛丼チェーン、居酒屋チェーン、大手電機メーカー、いくつもの事例が読者の頭に浮かぶだろう。

もちろん、日本の全ての組織が戦略的思考に欠けているかと言えば、そんなことはない。ソフトバンクファーストリテイリング村田製作所ファナック堀場製作所……環境変化を潜り抜け、グローバルに勝ち続けている戦略的な企業はいくらでも存在している。実はこうした企業はオーナー企業であることが多く、経営者が環境変化や変曲点に対して戦略的な意思決定をし続けてきたことが共通点にある。

一方、日本の一般的な組織においては、「良き平社員が、係長に」、「良き係長が、課長に」、「良き課長が、良き部長に」の延長で、最高決定者が決まる。多くの場合は、本流の部門や業績を伸ばした部門を上り詰めた人が選ばれる。意思決定の力量ではなく、環境や時代に恵まれていたり、社内評価を高めることに成功したりした人というわけだ。そんな人が突然戦略的思考を求められても無理だろう。実のところ、作戦指揮と戦略決定は、野球とサッカーぐらい違うのだ。

企業という組織においては、各階層での仕事は大きく異なるため、日本のようなキャリアパスの設計は適切ではない。事実、多くのグローバル企業では、最初からリーダーを選抜し、かなり早い段階から難しい意思決定をさせて経験を積ませている(日本でも先進的な企業はすでにそうなっている)。軍隊のような組織も、参謀と士官と下士官と兵隊では仕事の質が大きく異なるため、キャリアパスも違う仕組みになっている。

 

以上を踏まえ、自身のFIRE活動を振り返ると、やはり戦略部分の弱さを感じました。

4%ルールによるFIRE達成までの期間は「貯蓄率」に大きく左右されますが、その貯蓄率は収入と支出で決まります。収入を増やし、支出を減らすことによって貯蓄率は上がり、FIREまでの年数が短くなります。

そこで、私はこの4年間、収入増と支出減に取り組んできたわけです。副収入作りといっそうの節倹です。種々の取組みは、確かに一定の成功を収めたと言えるかもしれません。参考まで貯蓄率は以下のとおりです。


●貯蓄率
2020年 73.4%
2019年 66.0%
2018年 58.1%
2017年 51.0%

 

しかし、根本的な戦略部分がイマイチでした。

収入増は主に副収入作り、支出減は身を削るような節倹。これらを通じて必死に貯蓄率向上を図ってきたものの、私は「初期の成功によってその状況に過度に適応してしまい、自己革新と合理性の追求が出来なかった」のです。

 

たしかに収入は増え、支出は減りました。結果、貯蓄率は上がりました。

 

が、支出はほぼ底。収入は頭打ち。そして、貯蓄率も頭打ち。

 

どうやら私の場合は支出を削ることに集中しすぎたようです。

 

ここにきて、貯蓄率を決める最重要ファクターが収入であるという現実を直視せざるを得なくなりました。(もちろん節約もめちゃめちゃ重要ではありますが、支出削減には限界があるため、貯蓄率の上限は収入によって決まります。同じ支出ならば、収入が高い方が貯蓄率は高くなるのです。)

 

「自己革新と合理性の追求」の必要に迫られているというわけです。

 

このように貯蓄率が頭打ちになることは容易に想像できたはずですが、見て見ぬふりをしてきました。

 

本業の収入アップから目を背け、節倹に逃げていた節があります。

 

使った以上に収入増に資する支出であれば、それはまさしく将来への投資であり、惜しむべき支出ではないはず。

 

ところが、私はそうした投資的支出まで削り、目の前の数字の改善にのみ汲々としてしまっていたわけです。

 

ある意味で本末転倒でした。

 

節倹は目に見えてすぐに成果が出るため、ゲーム感覚で取り組むことができました。

 

一方、転職のためのスキルアップはわりと地味で、しかもすぐに成果が出るようなものではないと思います。

 

わかりやすい節倹の方にばかり注力してしまっていたのです。

 

このことは猛省しなければいけません。

 

たとえば年収が手取りベースで100万円増えたとすると、2020年の貯蓄率は73.41%から78.47%と+5.06%改善します。転職に伴う支出増、転職に費やすリソースを使って獲得できるであろう副収入(差し引く必要)を考慮すると、厳密には貯蓄率の増分はもう少し小さくなると思います。それでも+5%上限が広がることを考えれば、着手すべき最優先事項と言えそうです。

 

●2020年実績(参考)

貯蓄率: 73.41%

貯蓄: 3,119,196円

支出: 1,129,626円

 

将来的に貯蓄率が頭打ちになってしまうことを見据え、転職と節倹を並行して進めるべきだったということです。

 

ここまでけっこう自己否定的な書きぶりになってしまいましたが、ポジティブな見方をすれば、この4年間のFIRE活動によって、支出サイドは概ね最適化できた(あるいは、最適化のコツを体得した)ということだと思います。決してこの経験は無駄ではなかったです。

さらなる飛躍のため、思考法を切り替える必要に思い至りました。

 

転職によって収入を上げる方向に舵を切っていきたいと思います。

 

といっても、言うは易く行うは難し、でありますが。

 

また、無理して心身を壊してはそれこそ本末転倒なので、あまり無理はしない方針です。

 

何をもって転職を成功とするか、そのための戦略を明確にしたうえで、スマートかつ根気強く(?)転職活動を進めていきたいものです。

 

2021年は隠居芸人転職編ということで、引続きよろしくお願いします。