隠居生活

限界勤め人だった著者の隠居生活を綴ります

ショボいコレクションと合理性の追求

どうも隠居芸人です。

 

1億円持っている人が5000万円失うのと、100万円だけ持っている人が50万円失うのとでは、同じ50%でも意味がまったく違いますよね。持つ者には持つ者なりの、持たざる者には持たざる者なりのチップの張り方があるということだと思います。

 

年を重ねれば重ねるほど抱えるものが多くなって人生の自由度が落ちていくのが一般的だと思います。挑戦できなくなっていくというか。そういう風が吹いているのだと思います。

 

私自身、ショボ勤め人生活のなかでそれなりに時間と金をかけて築き上げてきたショボいコレクションがあります。社内の人間関係とか、超ショボい仕事の実績とかです。

これからも厳しい環境の変化が絶えずあるにせよ、就職してからの7年間を振り返ると、社内で比較的安定した立場を構築することについて一定の成功を収めた自負()みたいなものがあります。

 

これらが逆風になります。

転職することになったら、これらの全部とは言いませんが、一部は捨てることになります。すべてを持ち運ぶことはできません。そこをどう捉えるか。

 

今の会社で勤め続けることに未来がない以上、恐怖心を克服して飛び出さなくてはならないのだと思います。清水の舞台から飛び降りる必要があります。

 

受け入れ先があるかどうかはわかりませんがw

なければ地面突撃です。

 

支出はほぼ底に達し、収入も頭打ち。

 

これに伴いFIREの最重要指標ともいえる貯蓄率は飽和状態に。

 

ここにきて、恐怖心や甘えを排した自己革新と合理性の追求に迫られているわけです。

 

自分にとって何が大切で何を失いたくないのか、同時に何を手に入れたいのか、そんなことを嫌でも考えさせられます。

 

こうした迷いが生じることそれ自体が生きた証のような気がします。あ~尊い。(自分で言うな。)

 

4年間のFIRE活動は無駄じゃなかった。

 

愛すべき停滞を選ぶことも頭をよぎります。

 

しかし、それ以上に外に出て挑戦したい思い、ヒリヒリするような焦燥感(なんじゃそりゃ)にすっぽり覆われています。

 

この先に進みたいのです。停滞ではなく前進を。

 

それが自分の答えです。

 

会社での出世とか、周りに必要以上に好かれるような努力は一切捨てました。

このことによって時間と心に余裕が生まれました。

あとはそのリソースをどう使っていくか、ですよね。